誕生日に思う

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去る2月16日に誕生日を迎えました。たくさんのメッセージを頂き、ありがとうございます。何度迎えても、誕生日はいいものですね。


28年前、第一子として生まれた私は、大病をすることもなくすくすくと育ちました。大学生になると、要領の悪さも手伝って、学業、バイト、学生会に大忙しの毎日。知らぬ間にスケジュール帳が真っ黒になり、家には寝に帰るだけ、という日も少なくありませんでした。好きでやってることのはずなのに……

ある日、あまりの忙しさに疲弊してしまい、「俺はどうしてこんなに忙しいのか……」と母に愚痴をこぼしたことがありました。すると母は、「あんたは生まれたとき、へその緒をたすき掛けしてたの。私は『この子は生涯、働きづめで通るんだ』と思ったから、何も不思議じゃない」と。

たすき掛けとは、着物を着た人が家事や作業をするとき、袖が邪魔にならないようにひもで縛ることをいいます。母のあっけらかんとした態度に驚きましたが、冷静になることができました。

「成ろうと言うても成らん、成ろうまいと言うても成りてくるがいんねん」というフレーズが、おさしづに繰り返し出てきます。自分がしたいことができない、なりたいと思ってもなれない。あるいは、したくないことをしなければならない、こうはなりたくないと思ってもそうなってしまう。こうしたことを、神様は「いんねん」とおっしゃるのです。

私にしてみれば、何もへその緒をたすき掛けして生まれたいと思ったわけでもなく、忙しい日々を送りたいと思ったこともありません。これは私のいんねんだと言って差し支えないでしょう。

いんねんは、これを「わがこととして受け入れる」ことと、「切り替えていく」ことが大切です。「わがこととして受け入れる」とは、言い換えると「いんねんを活かす」ということ。自分にしかない個性であり、親神様から与えられたプレゼントであると捉え、前向きに生きていくということです。

また、「切り替えていく」とは、未来は白紙だということです。自分のいんねんが望ましくないと思っても、今後の心遣い次第で人生が変わり、新たな地平が拓けてくるのです。なりたい自分の姿を描き、それに向かって努力することとも言えるでしょうか。神様はいんねんを見せることで、私たちに現状を反省させ、より良い生き方への転換を促されるのです。

自分の体と時間を、人のために使う生き方。これが私のいんねんであり、使命だと思っています。そうは言っても、届かない未熟者。皆さまの温かいご指導を頂ければ大変うれしく思います。28歳の私もよろしくお願いいたします。