歯磨き

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ある日、私は職場で昼食をとり、歯を磨いていると、先輩が現れ、私を見て興奮気味に言いました。「すごい! 歯磨きしてる! かりもの大事にしてるねえ!」

 

私はあっけに取られました。「そうなんです!」と言えたらかっこいいのですが、特に何も考えずに毎日歯を磨いていたので、「かりものの身上を大事にしている」なんて発想はなかったのです。

 

しかし、そのあとよく考えてみると、歯磨きは身上の〝修理〟といえるのではないか、と思いました。修理とは普通、壊れたものを修繕する意味で使われることが多い言葉ですが、農事用語でいう修理は、雑草を抜いたり、間引きをしたりすることをいうそうです。

神様から一時的にお預かりしている体をしっかり使わせていただけるように歯を磨く、と考えると、それがとても意義深いものに感じられてきました。

 

他にも、散髪や爪切り、洗面やお風呂など、私達は日常生活の中で、知らずしらずのうちに体の修理をしています。親神様の御守護によって生かされていることは間違いありませんが、こうした修理は人間が生きていくのに必要なことばかりで、怠ると大変なことになってしまいます。間引きやこまめな草引きによっておいしい作物がとれるように、親神様の御守護に加えて、生活の中で身上の修理に努めることが、陽気ぐらし世界に向けて必要なことなのです。

 

おふでさきに、

 

だん/\と心いさんてくるならバ せかいよのなかところはんじよ (一9)

 

とあります。人間の心が勇んでくると、自然が豊かになり、社会も繁栄するのだとおっしゃいます。御守護があるから放っておいても大丈夫なのだ、ということではなく、御守護に加えて私たちが勇んで修理に努めることが、人間生活の実りをもたらすのです。