名前を呼んで

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「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」

私たちは誰かに会ったとき、あいさつをします。「近頃の若者はあいさつもできない」という声を聞くこともありますが、人と人との関わりがあいさつから始まることは、あまり異論のないところだと思います。

 

私の周りには、あいさつに加えて名前を呼んでくれる人がいます。「○○さん、おはようございます」と言われると、とてもうれしい気持ちになります。ただあいさつされるだけで終わるよりも、自分という個人を認識して声をかけてくれていることが、はっきりと感じられるからでしょう。

 

自分がうれしいことは、人もうれしいはず。実行しようとしましたが、これがなかなか難しい。なんだかとっても恥ずかしいのです。

 

しかし、教祖伝をひもといてみると、おやさまは先人の先生方のお名前をよく呼ばれていることが分かります。『稿本天理教教祖伝逸話篇』からいくつか引いてみましょう。

 

「四郎兵衞さん、人がめどか、神がめどか」

「よっしゃんえ、女はな、一に愛想と言うてな……」

「佐右衞門さん、よくよく聞かしてやってくれまするよう」

 

挙げればキリがありませんが、おやさまはこのように、おやしきにつながる方々の名前を親しくお呼びになっています。

 

私が好きなエピソードを紹介しましょう。妻の身上をたすけられて入信した増野正兵衞先生は、明治17年4月、初めておぢばへ帰ります。その日は、ちょうどおやさまが奈良の監獄から帰られた日でした。

 

教祖はお帰りになると、お居間にお坐りになり、お側の方がみりんを差し上げると、その御杯をお口に持って行かれ一寸おあがりになり、たくさん詰めかけている信者の人々をずーっと御覧になりました。

 増野ははじめてのことで、一番うしろで教祖を拝んでいたのであります。その時教祖は、増野を御覧になり、お側の人に名前を聞かれたのでしょうか、

「神戸の増野さん、一寸ここへおいで」

と仰せになられたそうです。

 増野は恐る恐る前へ進み出ますと、教祖はみりんの杯を彼の方へ差し出され、

「これ、あんたにあげる」

と仰せられ、その後で、

「よう訪ねてくれた。いずれはこの屋敷へ来んならんで」

と仰せられたといいます。彼の感激は、どんなでございましたでしょう。(高野友治『先人素描』p.188)

 

末席で拝んでいた先生は、多くの信者がいる中で「神戸の増野さん」と呼ばれて驚いたことでしょう。

 

しかし、これは増野先生に限った話ではないと思うのです。おやさまは、私たち一人ひとりのことをよくお分かりになっていて、常に親しく名前を呼んで、指図してくださっているのだと思います。私は教祖殿に額づくと、いつも名前を呼んでくださる気がしてなりません。

 

おやさまの親心をわが心として通らせてもらうためにも、恥ずかしさに負けず、名前を呼んであいさつできる自分を目指したいと思います。