鳴物の歴史は生きている

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3カ月ほど前、人生で初めて「鳴物を教えるように」と御命を頂きました。未来に胸膨らませる20代の若者に、打ち物の手ほどきをせよとのことです(私も20代ですが)。

 

鳴物の打ち方を復習するとともに、その歴史も一応調べておこうと思い、本などを読みあさっていると、どんどんおもしろくなってきました。

たとえば、明治21年に教会本部ができたとき、それまで使われていた小鼓は、雅楽で使われている羯鼓(かっこ)に変わりました。本部としては教祖50年祭のとき(昭和11年頃)に小鼓に戻されましたが、現在70代のある布教所長さんが、「私が子供の頃はまだ羯鼓を使っていた」と話されていたので、すべての教会や布教所に浸透するには時間がかかったようです。他に、太鼓、すりがねなども、さまざまな紆余曲折があって現在に至っていることを知りました。

 

そのような変遷の中で最も苦しかった出来事は、明治29年内務省訓令ではないかと思います。「天理王命」は「天理大神」と言わざるを得なくなる、第一節「あしきをはらうて」を勤められなくなる、女性がおつとめに出られなくなるなど、最も大切なおつとめの勤め方について、当局からの干渉を受けたのです。

 

鳴物も例外ではありませんでした。三曲の鳴物のうち、三味線は薩摩琵琶に、胡弓は八雲琴に変えざるを得なくなったのです。これらは弦の数などを変えてできるだけ三味線や胡弓に近づけて使われました。

 

「鳴物おもしろい!」と感嘆した私。迎えた講義の当日は、非常に緊張しましたが、受講生の皆さんが上手に聞いてくださったおかげで、なんとか勤め終えることができました。

 

それからしばらくたったある日、妻が目を輝かせて私に報告してきました。

「テレビにプロの薩摩琵琶奏者が出てた!」

その方はNHK大河ドラマで楽器の監修や考証をするなど、多方面で活躍されている友吉鶴心という方でした。

 

妻によると、その番組の中で、「明治時代に薩摩琵琶が流行していた」と説明されていたそうです。理由は簡単。明治天皇が薩摩琵琶を好んでいたからだと。

 

二人で顔を見合わせて、心の中でハイタッチしました。「だから当時の先人は、三味線の代わりを薩摩琵琶にしたのか!」。

それまでの私は、「薩摩琵琶」と聞くと「ああ、内務省訓令のやつね」と軽く流していました。しかし、当時の先生方が相談を重ねて、「明治天皇がお好きな楽器なら問題ないだろう」と話がまとまった様子が目に浮かぶと、胸に感激がこみ上げてきました。そして、鳴物を変更するために伺った次のおさしづが、より深い味わいを持って読めるようになりました。

 

九つ鳴物の内、三味線を今回薩摩琵琶をかたどりて拵えたに付御許し願

……皆寄り合うて、喜ぶ心を以てすれば、神は十分守護するとさしづして置く。鳴物は許そ/\。(明治30年11月20日

 

いつの時代も、神様の大きな親心に包まれて、私たちは生きているのです。