天理教の先生

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小学校からの友人Tとフィアンセの話(7月30日投稿「これでええねん」)から、もう一つ。

 

Tが学校の先生をしているのは知っていましたが、フィアンセの職業は知りません。尋ねると、Tとは別の学校の、これまた先生でした。彼女は自然の流れで、私の職業を尋ねました。

 

自分の立場を説明するのは難しいと思い、一瞬言葉に詰まった私は、とっさに「天理教の先生かな」と言ってしまったのです。私は自分で言ったものの、面白くてTと共にケラケラ笑っていたのですが、彼女は「なるほど」といった感じで神妙にうなずいています。冗談のつもりなんだけど……。

 

しかし冷静に考えると、教外の方から見ると私は「天理教の先生」でもおかしくないのかもしれません。

 

考えてみましょう。バチカン生まれ、バチカン育ち、家族はみんなカトリック、神学校を卒業したという経歴なら、いくら若くても「キリスト教の先生」でしょう。そう考えると、私の「天理教の先生」という冗談を素直に受け取った彼女の心持ちが、少し分かるような気がしました。

 

そして、同時に問いが浮かびます。果たして自分は、「天理教の先生」といわれるほどの信仰を持っているのだろうか――。

 

恥ずかしながら、自信を持つことはできていませんでした。今もそれは変わりません。

ただ、理想の「天理教の先生像」を心に持ち続けることは、自分にもできる。いや、しなければならないと思います。

 

私にとっては、河内の出身で後に高安の役員としてつとめた、佃 巳之吉(つくだ みのきち)先生がそれにあたります。

 

教祖様が、ある夜、「この屋敷のものをみんな、ここへ呼んでくれ」と仰せられ、みんなが集つたとき、教祖様には「もう一人おる、さがしておいで」と仰せられるので、尚もさがしたところが、縁の下に佃先生がおられた。でこの方を教祖様のもとに連れて行つて、「この人でしようか」とお伺いいたしましたところ「その人、その人」と仰せられ、尊いお話をして下されたということです。(中略)そのようにして、七年ほどもお屋敷へ参詣されて、お話を聞いておられたのだそうです。それですから、お話は実に神様そのままのようだつたといいます。佃先生もまた、お話されるときには、

「私は元来無学であります。字は一字も読めません。なれども、神様より天の学を聞かしてもらつています。されば、質問があれば何なりときいていただきたい」と前置をしてお話をされておつたそうです。

高野友治「眼の患いの話」

 

お道の教えは、その気さえあればどんな人でも聞くことができるし、わかるものです。佃先生のように、文字が一字も読めなくとも。真実に聞かせてもらいたいと思えば、障子に張り付いて耳をそばだててでも聞く。いつお話があってもいいように、濡れ縁の下に潜り込む。それほど真剣に話を聞きに行くことで、「質問があれば何なりときいていただきたい」とまで言える自信がつくのです。

 

私も、「真実に聞かせてもらいたい」という気持ちでおふでさきを読み、みかぐたうたを歌い、おさしづに親しんで、「あの人の話すことはおやさまのお話そのままや」と言ってもらえるような「先生」になれるよう、コツコツと努力したいと思います。