心は自分のものか

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「かしもの・かりものに理」については、「体は神様からのかりもので、心だけが自分のものだよ」という説明がよくされているように思います。体→神様のもの、心→自分のもの、という構図が分かりやすく、初めて聞く方にも理解しやすい説明だと思います。

 

しかし、これはあくまで所有という考え方に基づいた一側面の説明に過ぎません。私は大学で心理学をかじっていた頃から、「心は自分のもの」という説明に疑問がありました。抑うつ統合失調症などの人は、「心が自分の思うようにならない」という状態です。健康な方でも、いわゆる「頭で分かっても心がついていかない」という状態を経験されたこともあるでしょう。

 

大学を卒業したあと、ある先生から次のような話をうかがいました。

 

「『心一つが我がのもの』と教えられるが、厳密に言えば、心は自分のものではない。心遣いの〝結果〟が自分のものである」

 

私は手を叩きました。確かに、自分が通ってきた心遣いの軌跡、その結果はまぎれもなく自分だけのものです。今の自分は、過去の自分の心遣いが形作ってくれているのです。所有という観点からの説明であれば、この言い方が一番しっくりくると思いました。

 

神様のお話は、「身の内はかりもの」→「心一つが我がの理」→「心通り世界に映る」と展開します。自分の体を含め、身の回りで起きている出来事は、わがものである「心遣いの結果」が映っているに過ぎません。しっかりと我がこととして受け止め、今日も胸の掃除に励みたいと思います。