仕事と私、どっちが大事…?

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お道では、「誠」の大切さが説かれます。『天理教教典』には「誠真実」という章が設けられていて、日常的にもよく聞かれる言葉です。しかし、「誠とは何か」「誠の心はどういう心か」ということについては、あまり言及されていないように思います。言葉の意味としては、すでに了解済みのこととして話が進んでいるようです。

 

私は何年か前、ふとしたことから「誠とは何だろうか……」と考え込むことがありました。教典はもちろん、『正文遺韻』、先人のお話なども読み、それぞれに「なるほど」と思いましたが、どこかしっくりこない感覚のまま、時は流れていきました。

 

そんなある日、部署の同僚とおかきさげについて話していました。話題は、「家業第一」と「内々孝心」について。これらは「二つ一つが天の理」といわれ、30歳未満の人に渡されるおかきさげにのみ挿入されている一節です。

 

……又一つ、第一の理を諭そう。第一には、所々に手本雛形。諭す事情の台には、日々という、日々には家業という、これが第一。又一つ、内々互い/\孝心の道、これが第一。二つ一つが天の理と諭し置こう。……

 

「家業」は家の仕事ですが、当時は仕事=どこかの家の仕事(家業)だったので、現代風にいえば普通の「仕事」と置き換えていいでしょう。「内々」は、親子、夫婦を中心とする家庭のことを指しています。「仕事を大切にすること」「家庭を大切にすること」を「二つ一つ」に治めることが、「天の理」に適うといわれるのです。

 

そこで気が付くのは、これまたおかけさげに出てくる「誠一つが天の理」という一節です。

 

……日々という常という、日々常に誠一つという。誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。よく聞き分け。……

 

誠一つが天の理

二つ一つが天の理

 

「天の理」という言葉で、「誠」と「家業第一、内々孝心」がつながっている。つまり、「誠」の具体的な行動として、仕事と家庭を二つ一つに治めることを諭されていると理解できるのです。

 

私はどちらかというと、仕事を一生懸命がんばっていれば家庭は自ずと治まってくると考えるたちだったので、非常に反省させられました。仕事が忙しいことを言い訳に、両親への孝行や妻への心配りがおろそかになっていたのです。

 

裏表のない「誠」の心は、仕事も家庭もおろそかにしない日々から生まれる。それは取りも直さず「内々十分睦まじい」姿となり、世間の人からも「なるほど」と言われる生活となっていくでしょう。