水と神とは同じこと?

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私が以前つとめていた部署の給湯室に、張り紙がされています。「水と神とは同じこと 水を大切に」。かわいいしずくのイラストと共に書かれた筆文字が全体の調和を生み出していて、なかなかのデザイン性です。しかし私は、その紙を初めて見たときから、微妙な違和感がありました。このほど、少し真剣に考えてみたので、それをつづりたいと思います。

「水と神とは同じこと」とは、みかぐらうたの五下り目に出てくるフレーズです。原文をみてみると、

みづとかみとはおなじこと こゝろのよごれをあらひきる (五下り目 三ツ)

とあります。ここでの「水」は、たとえとして用いられていることは明らかです。では、何をたとえているのか。

こんなことがありました。私が家で洗車をしていると、洗剤とブラシではなかなか取れない頑固な汚れが残っています。どれだけこすっても取れないので、「ブラシは古いし、洗剤は安物だし、新しいの買わないとなあ」と考えていました。しかし、私は何を思ったのか、あえて洗剤を使わず、水を流しながらブラシでこすってみようと思いついた。早速やってみると、あれだけ頑固だった汚れはまたたく間に落ちていきました。「くにとこたちのみこと様!!!」。思わず叫ばずにはいられませんでした。

水の洗浄力はすごいのです。実は、洗うものが傷まないように注意が必要なくらいなのです。

「みづとかみとはおなじこと こゝろのよごれをあらひきる」。水のような洗浄力で、人間の心を洗いきるとおっしゃいます。どんな心を洗うかというと、

よくのないものなけれども かみのまへにハよくはない (同 四ツ)
むごいこゝろをうちわすれ やさしきこゝろになりてこい (同 六ツ)

といわれるように、「よく」や「むごいこゝろ」といったものです。ここでの「水」は、特にその洗う力に焦点を当てたたとえだということができそうです。

ひるがえって冒頭の張り紙を見ると、「水を大切に」とも書いています。水の洗浄力にたとえたお歌と共に、水を節約して使うことについても書かれているため、私は違和感を抱いたのでした。原典を引用することで、かえって意図がずれてしまっていたのです。

しかしながら、これを書いた人には言いたかったことがあるはずです。すなわち、単に「水を大切に使おう」と言いたかったというよりも、水の持っている力を十分に活かして、ここ(給湯室)で洗い物をしてほしい。また、飲み物を作るときも、水の御守護に感謝して作ってほしい。そうした思いが込められているのではないか、と考えました。

「くにとこたちのみこと様、ありがとうございます。おかげをもって、生きるために必要不可欠な水分を摂ることができます。汚れた食器も洗うことができます。いつも私の心の汚れを洗ってくださって、ありがとうございます」。その都度その都度、このように感じながら給湯室で作業をすれば、親神様はどんなにかお喜びくださることでしょう。当たり前すぎてなかなか気付きにくい尊い御守護に、気付かせていただいた出来事でした。