夕食当番

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先日、生まれて初めて夕食を作りました。お恥ずかしいことに、これまで台所に興味がなく、一人暮らしの経験もなかった私は、ごはんを作ることと無縁の生活を送っていたのです。

なぜ作ろうと思ったかというと、妻と一緒に動画配信サイト「YouTube」の料理動画を見ているうちに、「これなら俺にもできそう」「やってみたい」という気持ちが芽生えてきたからです。前日に買い出しをして、当日はりきって3品を作りました。YouTubeで活躍されている料理研究家の方、本当にすごい。料理経験ゼロに等しい私でも、簡単に、おいしいものを作ることができました。妻が喜んでくれたのは言うまでもありません。

夕食を作ってみて、気付いたことが2つあります。1つは、「これを毎日している人はすごい」ということです。母親への尊敬の念がにわかに巻き起こりました。普段は親に感謝を述べるのが恥ずかしい私でしたが、素直に伝えることができました。母さんありがとう。

もう1つは、妻の姿から。以前紹介したように、妻の口癖は「おいしい」。食事中に何度も何度も「おいしい」と言う妻は、私が作ったものに対しても、いつものように「おいしい」を連発し、「上手にできたね」と褒めてくれました。これが、とてもうれしかったのです。

改めて、「おいしい」という言葉の素晴らしさを知りました。「おいしい」と言うだけで、作ってくれた人が喜んでくれます。それだけではありません。おやさまは次のようにおっしゃっています。

『生物は、みな人間に食べられて、おいしいなあといふて、喜んでもらうて、生れ変るたび毎に、人間の方へ近うなるのやで。さうやからして、どんなものでも、おいしい/\と云ふて、たべてやらにやならん』
諸井政一『改訂正文遺韻』p.280

材料になった生き物たちが、人間に喜ばれた理によって成人する。おやさま自ら、「どんなものでも、おいしい/\と云ふて、たべてやらにやならん」と仰せになっています。何でも「おいしい」と言って食べることで、おやさまがお喜びくださるのです。

人のために食事を作ることは、お道を通る上で重要なことではないかと思いました。作ってくれる人への感謝、限りないお恵みを下さる親神様への感謝は、自分が作る側になって初めて感じられるのかもしれません。妻のように「おいしい」が自然に出てくる姿を目指し、自分も「おいしい」の連鎖を生みだす発信源になれるよう、これからも頑張りたいと思います。