暇になりました

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先月、長らく続いていたある仕事が一段落し、それまでより早く家に帰れるようになりました。精神的にも肉体的にも楽になり、余裕のある生活を手に入れたのです。

 

そんな私は、目まぐるしい日々を送っていた反動から、「僕、暇になったんですよ」と色んな人に言ってまわっていました。ただ、空いた時間に別のことをするわけでもなく、何気なく過ごしていただけでした。

 

そんなある日、おさしづをパラパラめくっていると、次のお言葉に出合いました。

 

暇になったさかいにどうと、これはどうもならん。用が無いさかいにと言うててならん。そういう日々の処ではどうもならん。 M31.4.26

 

これには肝をつぶしました。まさに今の自分に言われているようで、冷や汗がじわり……

 

これは、当時おやしきの向かいで豆腐屋を営んでいた村田慶蔵さんが、お客さんが少ないので従兄弟の林好松(店を手伝っていた?)を布教に出してもいいでしょうか、という伺いです。「暇だから布教に出たい」と尋ねた先人に対して、私は「暇だからぼーっとしている」という状態。恥ずかしい限りです。

 

このおさしづで神様が布教をお止めになった理由を断定するのは難しいのですが、「暇だから」という安易な心を戒められているように感じます。また、家の「締まり」ということに繰り返し言及されているところをみると、家業と家庭をしっかりと治めよ、という思召ではないかと拝察されます。

 

自分のことを振り返ってみると、忙しさを言い訳に、しなければいけないことを人に押し付けたり、後回しにしたりしてきたのではないか、と思い至りました。部署での他の仕事、家の掃除、家族への心配り、日々の徳積みなどなど……

 

時間を与えていただいたのは、今までないがしろにしてきたことを大切にするように、という思召だと悟りました。一層仕事に精を出し、なおかつ身近な人に喜んでもらえる日々を目指したいと思います。