「かりものの理」はどこから

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リクエストを頂きましたので、今回は「かしもの・かりものの理」について書きたいと思います。「かしもの・かりものの理」は、昔から「教えの台」と呼ばれ、お道の教えの根幹ともいえる大切な教理です。しかし、「はじめに聞いてしまいまで分からない」「千遍聞いて千遍説け」などといわれるように、話としては分かりやすくても、その真意を会得することは難しいのです。今回は少し趣向を変えて、この教えがどこに、どのように出ているかをおおまかに見ていきたいと思います。

 

原典においては、「おふでさき」と「おさしづ」に出てきますが、必ずしもまとまった形ではないようです。また、理由は分かりませんが、「みかぐらうた」には一度も出てきません。

 

  • おふでさき

「かしもの」5個所、「かりもの」1個所

おふでさきに「かしもの・かりもの」という言い方はなく、貸主の立場からみた「かしもの」という表現が基本です。これらのおうたはよく引用されるので、聞いたことがある方も多いかと思います。

 

  • おさしづ

「かしもの・かりもの」「かしもの」「かりもの」「かりもの・かしもの」226件(371個所)

(1)第1~6巻…...56件102個所

(2)第7巻(補遺)...…170件269個所

おさしづにはたくさん出ていますが、その約7~8割が第7巻に登場しています。これはつまり、遠方から帰られた方の身上の伺いや、おさづけの理を渡されるときの「おさづけさしづ」が、多くを占めていることを示しています。ちなみに、「おさづけさしづ」の文面は、ある時期に「おかきさげ」として一定になりました。皆さんも頂いた、あの「おかきさげ」です。

 

また、「かしもの・かりもの」の話は、〝準原典〟ともいえる「こふき話」の写本にも多く出てきます。主に「かりもの」の語がみられ、「からだはかりものである。この訳は……」という文に続き、「くにとこたちのみこと」から順に十柱の神様の説き分けが記されています。今日私たちが「十全の守護」と呼んでいるお話は、かしもの・かりものの話であるということです。

 

以上、おおざっぱに「かしもの・かりもの」の出どころを整理してみました。もっと言うと、先人のお話や、『天理教教典』なども重要なのですが、またの機会に譲りたいと思います。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

コロナ時代はご守護とともに

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新型コロナウイルスの感染拡大によって、私たちの生活は一変しました。振り返ってみると、日本で流行しだした頃は「このパンデミックをどう考えるか」という議論がさかんに行われていたように思います。教内においても、おふでさきやおさしづなどを参考にした悟りや、行事の中止を通して感じたことなど、さまざまな思案がなされていました。

 

私はどうかというと、「コロナ時代をどう生きるか」と銘打った『あらきとうりよう』(昨年8月発行)の中での一節が印象に残りました。

 

「かりもの」のご守護の世界に目を向け感謝する、小さなところから「たすけあい」の行いを積み重ね、陽気づくめの心で生きる。おやさまがお教えくだされた教えの根本にしっかりと目を向け、真実の生き方へと改めていくことが、いまという時旬に求められることではないだろうか。

山澤昭造「かりもの」のご守護の世界に目を向けるとき『あらきとうりよう』280号

 

 

あまたあった議論の中で、これが一番しっくり来ていました。しかし一方で、かりもののご守護に目を向けることが大切だと分かりつつも、なかなか自分の生活に落とし込めていませんでした。頭では理解していても、生活が変わるまでには至っていなかったのです。

 

そんな中、昨年12月某日、ある青年仲間と話をしていたとき、久しぶりに「コロナをどう思案するのか」という話になりました。その頃、世間はワクチンや東京五輪の話で持ち切り。教内でも「どう思案するのか」という議論はほとんど聞かれなくなっていました。

 

彼は、「この一年でいろんなことが当たり前ではないとみんな気付いたはず。ここからさらに進んで、生きていること自体が奇跡の連続であることに思いを致し、それに感謝する生活に改めていかないといけない」と話していました。それを聞いてすぐに思い浮かんだのは、おやさまのご逸話でした。

 

おやさまは、監獄所においでになったときも、朝はいつもの時刻にお目覚めになり、東からのぼる太陽を拝まれた、と伝えられています。おやさまはお側の方に「これをせよ」とおっしゃったわけではありませんが、私は一人の弟子として、こうした行いを真似したいと思ったのです。取りも直さず、それが「教えの根本にしっかりと目を向け、真実の生き方へと改めていくこと」につながるのではないか、と。

 

ということで、いま私は、3つのことを実行しています。

 

  • 朝起きたら、目を開けてくださったご守護にお礼を申し上げる
  • 朝起きたら、太陽を拝む
  • 食事の前に、箸を両手で持ってうやうやしく掲げる

 

これらは本当に小さなことです。しかし、習慣化することで、かりもののご守護に目を向けることができるようになると信じています。私たちに求められているのは、物事を「当たり前」と感じる閾値を下げ、生きていること自体がご守護のたまものだと気づくこと。そして、少しずつでも生活を変えていくことではないか。ワクチンが出回りつつある今こそ、改めて生活を振り返るときだと思います。

 

 

 

誕生日に思う

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去る2月16日に誕生日を迎えました。たくさんのメッセージを頂き、ありがとうございます。何度迎えても、誕生日はいいものですね。


28年前、第一子として生まれた私は、大病をすることもなくすくすくと育ちました。大学生になると、要領の悪さも手伝って、学業、バイト、学生会に大忙しの毎日。知らぬ間にスケジュール帳が真っ黒になり、家には寝に帰るだけ、という日も少なくありませんでした。好きでやってることのはずなのに……

ある日、あまりの忙しさに疲弊してしまい、「俺はどうしてこんなに忙しいのか……」と母に愚痴をこぼしたことがありました。すると母は、「あんたは生まれたとき、へその緒をたすき掛けしてたの。私は『この子は生涯、働きづめで通るんだ』と思ったから、何も不思議じゃない」と。

たすき掛けとは、着物を着た人が家事や作業をするとき、袖が邪魔にならないようにひもで縛ることをいいます。母のあっけらかんとした態度に驚きましたが、冷静になることができました。

「成ろうと言うても成らん、成ろうまいと言うても成りてくるがいんねん」というフレーズが、おさしづに繰り返し出てきます。自分がしたいことができない、なりたいと思ってもなれない。あるいは、したくないことをしなければならない、こうはなりたくないと思ってもそうなってしまう。こうしたことを、神様は「いんねん」とおっしゃるのです。

私にしてみれば、何もへその緒をたすき掛けして生まれたいと思ったわけでもなく、忙しい日々を送りたいと思ったこともありません。これは私のいんねんだと言って差し支えないでしょう。

いんねんは、これを「わがこととして受け入れる」ことと、「切り替えていく」ことが大切です。「わがこととして受け入れる」とは、言い換えると「いんねんを活かす」ということ。自分にしかない個性であり、親神様から与えられたプレゼントであると捉え、前向きに生きていくということです。

また、「切り替えていく」とは、未来は白紙だということです。自分のいんねんが望ましくないと思っても、今後の心遣い次第で人生が変わり、新たな地平が拓けてくるのです。なりたい自分の姿を描き、それに向かって努力することとも言えるでしょうか。神様はいんねんを見せることで、私たちに現状を反省させ、より良い生き方への転換を促されるのです。

自分の体と時間を、人のために使う生き方。これが私のいんねんであり、使命だと思っています。そうは言っても、届かない未熟者。皆さまの温かいご指導を頂ければ大変うれしく思います。28歳の私もよろしくお願いいたします。

 

 

心は自分のものか

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「かしもの・かりものに理」については、「体は神様からのかりもので、心だけが自分のものだよ」という説明がよくされているように思います。体→神様のもの、心→自分のもの、という構図が分かりやすく、初めて聞く方にも理解しやすい説明だと思います。

 

しかし、これはあくまで所有という考え方に基づいた一側面の説明に過ぎません。私は大学で心理学をかじっていた頃から、「心は自分のもの」という説明に疑問がありました。抑うつ統合失調症などの人は、「心が自分の思うようにならない」という状態です。健康な方でも、いわゆる「頭で分かっても心がついていかない」という状態を経験されたこともあるでしょう。

 

大学を卒業したあと、ある先生から次のような話をうかがいました。

 

「『心一つが我がのもの』と教えられるが、厳密に言えば、心は自分のものではない。心遣いの〝結果〟が自分のものである」

 

私は手を叩きました。確かに、自分が通ってきた心遣いの軌跡、その結果はまぎれもなく自分だけのものです。今の自分は、過去の自分の心遣いが形作ってくれているのです。所有という観点からの説明であれば、この言い方が一番しっくりくると思いました。

 

神様のお話は、「身の内はかりもの」→「心一つが我がの理」→「心通り世界に映る」と展開します。自分の体を含め、身の回りで起きている出来事は、わがものである「心遣いの結果」が映っているに過ぎません。しっかりと我がこととして受け止め、今日も胸の掃除に励みたいと思います。

 

 

「何でも喜ばせてもらいなさい」

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天理教では、「喜ばせてもらいなさい」とよく言われます。とくに、良くないことが起こったときや、自分の意志に反する選択を迫られたときに、親など目上の方から言われることが多いようです。

 

では、例えば病気やケガをしたとき、「喜ばせてもらいなさい」と言われて、素直に喜べるでしょうか。もちろん、世にはとても心がきれいで、それができる人もいるでしょう。しかし、私など到底無理で、「喜べないことを無理に喜ぶなんてナンセンス」とずっと思っていました(今も基本的には変わっていませんが……)。

 

あるとき、教祖伝編纂の第一人者・中山慶一先生の講話に出合いました。その中に、次のような算式が載っていたのです。

 

与え/欲望=喜び

 

つまり、分子である「与え」が少なかったとしても、分母である「欲望」が小さければ、喜びは大きくなるのです。

 

例えば、10万円欲しいと思っている人がいたとします。そこで誰かから5万円をもらっても、満足するのは難しいでしょう。対して、1万円欲しいと思っていたところに5万円もらったら、飛び上がって喜ぶでしょう。世に貧乏だけど幸せな家族がいたり、大金持ちでも心が満たされない人がいたりするのは、そういったところにも要因があるのではないでしょうか。つまり、与えられた物事に喜べない現状というのは、それを上回る〝求める心〟に原因があるのです。

 

では、どうすれば欲を抑えることができるのでしょうか。

 

 

 これを教祖ひながたの上から思案致しますと、無理に欲を抑えるという不自然な方法ではなく、それよりは積極的に出せ、そうしたら知らず知らずの間に欲が薄れて行くという道をお示し頂いておるように思うのであります。出すと言っても、決して物や金だけではありません。与える心、出す心遣いであります。どうすればあの人は満足してくれるだろうか、どうすればあの人は助かるだろうか、どうすればあの人は喜ぶだろうか、こういう心遣いが出す心遣いでありまして、物も金も心も真実も、あらゆるものを出す努力を続けて行くところに、漸次欲が薄れて行くという事をお教え下さるために、教祖はまず出すところから道をお始め頂いておるのではなかろうかと私は悟らせて頂いているのであります。

中山慶一「御伝講話」『みちのとも』昭和34年3月号

 

 

おやさまは、とにかく「与える心、出す心遣い」で終始お通りになったといえるでしょう。物を施されたのはもちろん、人々に真実の心、喜びの心を与えられました。「よくにきりないどろみずや こゝろすみきれごくらくや」(十下り目 四ツ)とお歌いくださる境地を、自ら先頭切って歩まれたのです。

 

ひるがえって自分の心を振り返ると、頭では分かっていてもなかなか実行しにくいというのが現状……。人生には素直に喜べないことがたくさんあるのです。しかし、そうした難しい局面でどのように考えるのが適切なのか、私たちは教えられています。おやさまのように「与える心、出す心遣い」で日々を過ごすことで、ここぞという場面で自然と喜びがあふれてくるのでしょう。やっぱり、毎日の生活が大事ですね。

 

鳴物の歴史は生きている

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3カ月ほど前、人生で初めて「鳴物を教えるように」と御命を頂きました。未来に胸膨らませる20代の若者に、打ち物の手ほどきをせよとのことです(私も20代ですが)。

 

鳴物の打ち方を復習するとともに、その歴史も一応調べておこうと思い、本などを読みあさっていると、どんどんおもしろくなってきました。

たとえば、明治21年に教会本部ができたとき、それまで使われていた小鼓は、雅楽で使われている羯鼓(かっこ)に変わりました。本部としては教祖50年祭のとき(昭和11年頃)に小鼓に戻されましたが、現在70代のある布教所長さんが、「私が子供の頃はまだ羯鼓を使っていた」と話されていたので、すべての教会や布教所に浸透するには時間がかかったようです。他に、太鼓、すりがねなども、さまざまな紆余曲折があって現在に至っていることを知りました。

 

そのような変遷の中で最も苦しかった出来事は、明治29年内務省訓令ではないかと思います。「天理王命」は「天理大神」と言わざるを得なくなる、第一節「あしきをはらうて」を勤められなくなる、女性がおつとめに出られなくなるなど、最も大切なおつとめの勤め方について、当局からの干渉を受けたのです。

 

鳴物も例外ではありませんでした。三曲の鳴物のうち、三味線は薩摩琵琶に、胡弓は八雲琴に変えざるを得なくなったのです。これらは弦の数などを変えてできるだけ三味線や胡弓に近づけて使われました。

 

「鳴物おもしろい!」と感嘆した私。迎えた講義の当日は、非常に緊張しましたが、受講生の皆さんが上手に聞いてくださったおかげで、なんとか勤め終えることができました。

 

それからしばらくたったある日、妻が目を輝かせて私に報告してきました。

「テレビにプロの薩摩琵琶奏者が出てた!」

その方はNHK大河ドラマで楽器の監修や考証をするなど、多方面で活躍されている友吉鶴心という方でした。

 

妻によると、その番組の中で、「明治時代に薩摩琵琶が流行していた」と説明されていたそうです。理由は簡単。明治天皇が薩摩琵琶を好んでいたからだと。

 

二人で顔を見合わせて、心の中でハイタッチしました。「だから当時の先人は、三味線の代わりを薩摩琵琶にしたのか!」。

それまでの私は、「薩摩琵琶」と聞くと「ああ、内務省訓令のやつね」と軽く流していました。しかし、当時の先生方が相談を重ねて、「明治天皇がお好きな楽器なら問題ないだろう」と話がまとまった様子が目に浮かぶと、胸に感激がこみ上げてきました。そして、鳴物を変更するために伺った次のおさしづが、より深い味わいを持って読めるようになりました。

 

九つ鳴物の内、三味線を今回薩摩琵琶をかたどりて拵えたに付御許し願

……皆寄り合うて、喜ぶ心を以てすれば、神は十分守護するとさしづして置く。鳴物は許そ/\。(明治30年11月20日

 

いつの時代も、神様の大きな親心に包まれて、私たちは生きているのです。

 

 

天理教の先生

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小学校からの友人Tとフィアンセの話(7月30日投稿「これでええねん」)から、もう一つ。

 

Tが学校の先生をしているのは知っていましたが、フィアンセの職業は知りません。尋ねると、Tとは別の学校の、これまた先生でした。彼女は自然の流れで、私の職業を尋ねました。

 

自分の立場を説明するのは難しいと思い、一瞬言葉に詰まった私は、とっさに「天理教の先生かな」と言ってしまったのです。私は自分で言ったものの、面白くてTと共にケラケラ笑っていたのですが、彼女は「なるほど」といった感じで神妙にうなずいています。冗談のつもりなんだけど……。

 

しかし冷静に考えると、教外の方から見ると私は「天理教の先生」でもおかしくないのかもしれません。

 

考えてみましょう。バチカン生まれ、バチカン育ち、家族はみんなカトリック、神学校を卒業したという経歴なら、いくら若くても「キリスト教の先生」でしょう。そう考えると、私の「天理教の先生」という冗談を素直に受け取った彼女の心持ちが、少し分かるような気がしました。

 

そして、同時に問いが浮かびます。果たして自分は、「天理教の先生」といわれるほどの信仰を持っているのだろうか――。

 

恥ずかしながら、自信を持つことはできていませんでした。今もそれは変わりません。

ただ、理想の「天理教の先生像」を心に持ち続けることは、自分にもできる。いや、しなければならないと思います。

 

私にとっては、河内の出身で後に高安の役員としてつとめた、佃 巳之吉(つくだ みのきち)先生がそれにあたります。

 

教祖様が、ある夜、「この屋敷のものをみんな、ここへ呼んでくれ」と仰せられ、みんなが集つたとき、教祖様には「もう一人おる、さがしておいで」と仰せられるので、尚もさがしたところが、縁の下に佃先生がおられた。でこの方を教祖様のもとに連れて行つて、「この人でしようか」とお伺いいたしましたところ「その人、その人」と仰せられ、尊いお話をして下されたということです。(中略)そのようにして、七年ほどもお屋敷へ参詣されて、お話を聞いておられたのだそうです。それですから、お話は実に神様そのままのようだつたといいます。佃先生もまた、お話されるときには、

「私は元来無学であります。字は一字も読めません。なれども、神様より天の学を聞かしてもらつています。されば、質問があれば何なりときいていただきたい」と前置をしてお話をされておつたそうです。

高野友治「眼の患いの話」

 

お道の教えは、その気さえあればどんな人でも聞くことができるし、わかるものです。佃先生のように、文字が一字も読めなくとも。真実に聞かせてもらいたいと思えば、障子に張り付いて耳をそばだててでも聞く。いつお話があってもいいように、濡れ縁の下に潜り込む。それほど真剣に話を聞きに行くことで、「質問があれば何なりときいていただきたい」とまで言える自信がつくのです。

 

私も、「真実に聞かせてもらいたい」という気持ちでおふでさきを読み、みかぐたうたを歌い、おさしづに親しんで、「あの人の話すことはおやさまのお話そのままや」と言ってもらえるような「先生」になれるよう、コツコツと努力したいと思います。